中国茶の魅力
いま、中国茶にハマってます。
漢の時代に誕生したお茶の文化は、長らく中国で広く親しまれ、今や世界中に広がっています。
日本のお茶の文化、陶磁器の文化の原型も中国で生まれたものですし、その影響力は計り知れません。
近代に中国のお茶の文化は廃れてしまったものの、1980年代の改革開放により、日本や台湾で生き残ったお茶の文化が中国に逆輸入され、再び中国茶が注目を浴びるようになっています。
今日は渋谷の道玄坂にある中国茶の喫茶店「華泰茶荘」に足を運びました。
3時に予約して行きました。店は私たちが入った段階で満席となりました。
まずは緑茶の一種「安吉白茶」をいただきます。
原産は浙江省北部に位置する安吉県で、もとは樹齢1000年を超える野生の白葉茶樹を挿し技によって増やしたものです。原木は中国の「白葉一号」に指定されています。
次にいただいたのは白茶の代表格とも言える「白豪銀針」です。
原産は福建省の福鼎市周辺で、生産量の少ない希少なお茶となります。ほのかな甘みが感じられ、高級感のする味です。ガラス茶器でお茶のかたちと茶葉の浮き沈みを楽しみながらいただきます。
どちらのお茶も非常においしく、大変満足しました。また来たい名店です。
旧日本軍の要塞島「友ヶ島」
ときは明治時代。
大阪湾への外国軍艦の侵入を阻止するため、淡路島と和歌山県のあいだに浮かぶ友ヶ島に日本軍の要塞が建設されました。1945年の第二次世界大戦での敗戦まで一般市民の上陸が許されてこなかったこの島は、戦後市民に開放され、今では和歌山県を代表する観光地のひとつとなっています。
フェリーから見た友ヶ島の全景。
1986年の宮崎駿監督によるジブリ映画「天空の城ラピュタ」の公開以来、ラピュタの舞台にそっくりな島として話題となりました。私たちは連休を使って訪問したのですが、起点となる港町「加太」のフェリーターミナルには朝からもう大行列ができていて、3隻も待つ羽目になりました。
喫茶店でゆっくりしたあと、連絡フェリー「ラピュタ号」へといざ乗船!
乗船時間は約20分ほどと比較的近い距離にあふぃます。手前に見える陸地が友ヶ島で、奥に見える陸地が淡路島です。
友ヶ島の桟橋。港の海はかなり澄んでいました。
島はうっそうとした森林に覆われています。起伏が激しいので、結構体力が奪われます。
友ヶ島でまず向かったのは第5砲台跡です。
敗戦までは、スナイドル・カネー方式12cm速射カノン砲を6門編成で設置していました。設置目的は北側の海の防衛でした。
こちらは弾薬庫。
保存状態は非常によく、中にも入ることができます。
第5砲台跡をあとにして、次に第2砲台跡へと移動します。
途中の道からみた淡路島方面の景色が絶景でした。
こちらが第2砲台跡です。
こちらは友ヶ島で唯一アメリカ軍によって爆破された砲台で、右翼の第1、第2砲座は完全に失われています。一方、左翼の第3、第4砲座はかろうじて半壊の状態で残っており、内部の見学は許されていないものの、外から見学することができます。
第2砲台跡からすぐ近くには友ヶ島灯台が置かれています。1870年にイギリス人技師のリチャード・ブラントンによって建設が始められ、1872年に完成しました。高さ12.2mの石造の灯台は、明治期の極めて貴重な産業遺産として2009年には近代化産業遺産のひとつに認定されています。
友ヶ島灯台付近は日本標準時子午線 (東経135度) ラインが通っており、子午線広場として整備されています。
灯台そばには第1砲台跡も残っています。こちらは見学を許されていないので、残念ながら外部からの見学のみとなります。
こちらは砲台へとつながる門です。
門は海とは反対側に置かれています。
第1砲台跡から友ヶ島のハイライトである第3砲台跡へと向かいます。途中にある展望台からの景色もまさに絶景です。
こちらが第3砲台跡です。
山中に置かれた砲台はここ第3砲台と第4砲台の2つでした。
友ヶ島を代表する風景といえばコレでしょう。
立ち寄った全ての砲台跡のうち最も整備されたものもココだと言えるでしょう。
第3砲台跡はまさに迷路。真っ暗な地下道をライトを照らしながら進みます。
地下道の先にあったのは砲座跡でした。ここ第3砲台は28cm榴弾砲を8門備えており、友ヶ島の主力砲台でした。これらの砲座は1890年に着工し、1892年に完成しています。
第3砲台跡そばには将校の宿舎跡が残っています。右側に見える3つの窓のようなものは銃眼で、敵が侵入した際はここから銃撃を加えられるようになっていました。
というわけで、結局友ヶ島には約3時間半滞在しました。翌日は筋肉痛で苦しみましたが、非常に満足のいく滞在となりました。
紀州徳川家の居城「和歌山城」
和歌山城は、「築城の名人」こと藤堂高虎によて築城されたお城です。
築城主は豊臣秀吉で、1600年には関ヶ原の戦いの功を認められた浅野幸長が入城しています。
その後すぐに徳川家が紀州の統治にあたったため、徳川頼宣にはじまる紀州徳川家の居城として徳川御三家の一角を担うようになりました。
1945年の敗戦までにほとんどの建物が失われたものの、1958年には天守閣が再建されるなど、復興の努力が続けられたため、いまではかつての美しい姿を取り戻すことができています。
「大手門」と「一の橋」
浅野幸長の時代に建設された門と橋です。大手門は1909年に倒壊したものの、1982年に再建したものです。ちなみに、その翌年の1983年には一の橋も架け替えられています。
「伏虎像」
和歌山城は、一見すると虎のようなかたちに見える山のうえにそびえ立っていることから、別名「虎伏山竹垣城」と呼ばれていました。
その名前にちなんで建てられた銅像は戦時中の1942年に供出されました。現在の石像は1959年に建てられた二代目にあたります。
1945年の和歌山大空襲で焼失したのち再建されたものです。大天守と小天守の2つの建物で構成されています。
「西之丸庭園 (紅葉渓庭園)」
西之丸庭園は、紀州徳川家の初代藩主であった徳川頼宣によって築かれた池泉回遊式庭園です。明治維新後に荒廃しましたが、1970年代に復元、1985年には国勝に指定されました。
「御橋廊下」
生活の場であった二の丸と前述の西之丸庭園とを結んでいた御橋廊下は、藩主とお付きの者のみが通行を許されていた傾斜のある廊下橋で、江戸時代の図面を参考に2006年に復元されました。
「岡口門」
もとは豊臣秀吉が築いた城門で、かつてはここが大手門でした。1621年に城を拡張した際、現在のかたちになったとされています。和歌山城においては江戸期の様式が現存する唯一の門となっていて、1957年には重要文化財に指定されています。
和歌山市を代表する歴史的名所である和歌山城。和歌山県に来たときはぜひ見学してください!
白浜の食を満喫できる「とれとれ市場」に行ってみた。
白浜に来たらまず堪能したいのは、やはり海の幸でしょう。白浜の海には、幻の魚クエをはじめとした様々な魚が生息しています。
そんな魚たちを新鮮なうちに食べたい...!
そんな方にオススメなのが、白浜が誇る西日本最大級の魚市場「とれとれ市場」です。
入り口では巨大マグロがお出迎えです。
市場のなかは常に満員...!
本当に熱気がすごいです。
こちらは海の幸の代表格のひとつ、伊勢海老。
100gで1500円。買った人はその場で刺身にもできます。
こちらは白みる貝と車海老です。どちらも刺身ネタとしてはたまりませんね。
白浜産の真鯛と平目です。
値段は非常にリーズナブル。
こうして様々な鮮魚を販売している「とれとれ市場」ですが、この市場には他にもお酒のコーナーや惣菜のコーナーなど様々な物販コーナーがあります。
和歌山名物は基本的になんでも揃っているので、お土産はここで済ませてしまうのが賢明だと思います。
市場に併設されているフードコートでは、新鮮な海の幸を利用したお寿司や海鮮丼などが堪能できます。
私たちはせっかくなので海鮮丼 (1500円) をチョイス。近海物の真鯛とハマチが特に美味しかったです。
ちなみにコレ、朝ごはんでした(笑)
朝から贅沢ざんまいだったので、お昼ごはんはとれとれ市場の向かい側にある回転寿司「海鮮寿司とれとれ市場」で済ませました。
海鮮寿司とれとれ市場の外観
こちらの寿司屋で食べた寿司は以下の通りです。
「幻の魚」クエ (355円)
白浜の代名詞といえばコレでしょう。
白良浜周辺にはクエ料理のお店がありますが、クエはさすがに高すぎるので、今回は寿司ネタとしていただきました。文句なしの絶品。
きびなご軍艦 (227円)
近海物の小魚といえばキビナゴ。お寿司でいただくのは初めてでしたが非常に美味。
白浜産活〆真鯛 (173円)
肉厚な切り方で、鮮度が感じられる味わいでした。
青身三種盛 (389円)
カンパチ、ハマチ、シマアジの三種盛です。
近海物の美味しさがつまった逸品。
熊野牛炙り (551円)
和歌山名物、熊野牛のお寿司です。肉厚で非常にジューシーでした。
とれとれ海鮮汁 (335円)
ぶりのアラを利用した赤だしです。関西ではお寿司のお供は白味噌ではなく赤だしです。魚の出汁と赤だしが絶妙な味わいでした。アラですら新鮮に感じられました。さすが市場直結のお寿司屋さん。
というわけで、白浜で地元の食材を満喫したい方は絶対にとれとれ市場に足を運んでください〜!
白浜の由来「白良浜」で泳いでみた。
10月になったというのにいまだに暑い南紀白浜。
今日の気温は25度を超える夏日で、日差しも強かったので、白浜が誇る白砂のビーチ「白良浜」(しららはま) でゆっくりと泳ぐことにしました。
一面の白砂がまぶしい南国ビーチ!
三連休の最終日とあって人は少なかったです。
夏は家族連れで本当に混雑します...。
ビーチの目の前にはマリオットホテルがそびえ立っています。さすがは最高級ホテルといった風格です。
というわけで、ビーチをじっくり眺めたあとはいよいよ海のなかへ!
いざ飛び込んでみると、体感での水温はけっこう低かったです。
※あとで調べてみると水温は約25度だったそうです。勝手に20度ぐらいだと思っていました(笑)
水はかなり透明度があって綺麗でした。 「魚の宝庫」白浜らしい美しい海です。
もう秋も本格化してきて海に入れなくなる季節となってきますが、最後の海を楽しみたいという人はぜひ白良浜で泳いでみてはいかがでしょうか。
「白浜温泉」誕生の地、崎の湯に行ってみた
日本三古泉のひとつ、白浜温泉。
その白浜温泉で最も古い湯、「崎の湯」に行ってきました。
かつて牟婁の湯 (むろのゆ) と呼ばれたこの温泉は、飛鳥時代から天皇家に愛されてきた温泉として知られています。
初めて入浴した天皇は、飛鳥時代の女帝である斉明天皇とされています。これが658年のことです。
以来、天智天皇、持統天皇、文武天皇などが行幸され、古代から続く日本有数の温泉地として、有馬温泉や道後温泉と並ぶ日本三古泉のひとつと数えられるに至りました。
「日本最古」 の文字がおどる崎の湯。時代を感じます。
内部の撮影は認められていないので、ここで写真をお見せすることはできませんが、天然の美しい磯風呂は一見の価値があります。
源泉の温度は約80度と高温ですが、私の入ったときは少しぬるいと感じました。泉質としてはナトリウム - 塩化物温泉で、「弱アルカリ性高張性高温泉」に分類される温泉になります。
色は無色透明ですが、塩気が混じった温泉なので、口に入ったら少し塩の味がします。
飛鳥時代から続く歴史的な名湯ですので、白浜にお越しの際はぜひ足を運んでみてください!
(注意)
崎の湯は露天風呂と掛け湯のみが置かれた簡素なつくりとなっています。そのため、シャンプーやボディーソープは使用できません。脱衣所からはタオルのみをお持ちのうえ入浴してください。
【場所】
・明光バス「湯崎駅」から徒歩で約5分。
・白良浜から徒歩で約15分。
【料金】
500円 (2017年10月9日時点)
※タオルは200円で使用できます。