紀州徳川家の居城「和歌山城」
和歌山城は、「築城の名人」こと藤堂高虎によて築城されたお城です。
築城主は豊臣秀吉で、1600年には関ヶ原の戦いの功を認められた浅野幸長が入城しています。
その後すぐに徳川家が紀州の統治にあたったため、徳川頼宣にはじまる紀州徳川家の居城として徳川御三家の一角を担うようになりました。
1945年の敗戦までにほとんどの建物が失われたものの、1958年には天守閣が再建されるなど、復興の努力が続けられたため、いまではかつての美しい姿を取り戻すことができています。
「大手門」と「一の橋」
浅野幸長の時代に建設された門と橋です。大手門は1909年に倒壊したものの、1982年に再建したものです。ちなみに、その翌年の1983年には一の橋も架け替えられています。
「伏虎像」
和歌山城は、一見すると虎のようなかたちに見える山のうえにそびえ立っていることから、別名「虎伏山竹垣城」と呼ばれていました。
その名前にちなんで建てられた銅像は戦時中の1942年に供出されました。現在の石像は1959年に建てられた二代目にあたります。
1945年の和歌山大空襲で焼失したのち再建されたものです。大天守と小天守の2つの建物で構成されています。
「西之丸庭園 (紅葉渓庭園)」
西之丸庭園は、紀州徳川家の初代藩主であった徳川頼宣によって築かれた池泉回遊式庭園です。明治維新後に荒廃しましたが、1970年代に復元、1985年には国勝に指定されました。
「御橋廊下」
生活の場であった二の丸と前述の西之丸庭園とを結んでいた御橋廊下は、藩主とお付きの者のみが通行を許されていた傾斜のある廊下橋で、江戸時代の図面を参考に2006年に復元されました。
「岡口門」
もとは豊臣秀吉が築いた城門で、かつてはここが大手門でした。1621年に城を拡張した際、現在のかたちになったとされています。和歌山城においては江戸期の様式が現存する唯一の門となっていて、1957年には重要文化財に指定されています。
和歌山市を代表する歴史的名所である和歌山城。和歌山県に来たときはぜひ見学してください!