旧日本軍の要塞島「友ヶ島」
ときは明治時代。
大阪湾への外国軍艦の侵入を阻止するため、淡路島と和歌山県のあいだに浮かぶ友ヶ島に日本軍の要塞が建設されました。1945年の第二次世界大戦での敗戦まで一般市民の上陸が許されてこなかったこの島は、戦後市民に開放され、今では和歌山県を代表する観光地のひとつとなっています。
フェリーから見た友ヶ島の全景。
1986年の宮崎駿監督によるジブリ映画「天空の城ラピュタ」の公開以来、ラピュタの舞台にそっくりな島として話題となりました。私たちは連休を使って訪問したのですが、起点となる港町「加太」のフェリーターミナルには朝からもう大行列ができていて、3隻も待つ羽目になりました。
喫茶店でゆっくりしたあと、連絡フェリー「ラピュタ号」へといざ乗船!
乗船時間は約20分ほどと比較的近い距離にあふぃます。手前に見える陸地が友ヶ島で、奥に見える陸地が淡路島です。
友ヶ島の桟橋。港の海はかなり澄んでいました。
島はうっそうとした森林に覆われています。起伏が激しいので、結構体力が奪われます。
友ヶ島でまず向かったのは第5砲台跡です。
敗戦までは、スナイドル・カネー方式12cm速射カノン砲を6門編成で設置していました。設置目的は北側の海の防衛でした。
こちらは弾薬庫。
保存状態は非常によく、中にも入ることができます。
第5砲台跡をあとにして、次に第2砲台跡へと移動します。
途中の道からみた淡路島方面の景色が絶景でした。
こちらが第2砲台跡です。
こちらは友ヶ島で唯一アメリカ軍によって爆破された砲台で、右翼の第1、第2砲座は完全に失われています。一方、左翼の第3、第4砲座はかろうじて半壊の状態で残っており、内部の見学は許されていないものの、外から見学することができます。
第2砲台跡からすぐ近くには友ヶ島灯台が置かれています。1870年にイギリス人技師のリチャード・ブラントンによって建設が始められ、1872年に完成しました。高さ12.2mの石造の灯台は、明治期の極めて貴重な産業遺産として2009年には近代化産業遺産のひとつに認定されています。
友ヶ島灯台付近は日本標準時子午線 (東経135度) ラインが通っており、子午線広場として整備されています。
灯台そばには第1砲台跡も残っています。こちらは見学を許されていないので、残念ながら外部からの見学のみとなります。
こちらは砲台へとつながる門です。
門は海とは反対側に置かれています。
第1砲台跡から友ヶ島のハイライトである第3砲台跡へと向かいます。途中にある展望台からの景色もまさに絶景です。
こちらが第3砲台跡です。
山中に置かれた砲台はここ第3砲台と第4砲台の2つでした。
友ヶ島を代表する風景といえばコレでしょう。
立ち寄った全ての砲台跡のうち最も整備されたものもココだと言えるでしょう。
第3砲台跡はまさに迷路。真っ暗な地下道をライトを照らしながら進みます。
地下道の先にあったのは砲座跡でした。ここ第3砲台は28cm榴弾砲を8門備えており、友ヶ島の主力砲台でした。これらの砲座は1890年に着工し、1892年に完成しています。
第3砲台跡そばには将校の宿舎跡が残っています。右側に見える3つの窓のようなものは銃眼で、敵が侵入した際はここから銃撃を加えられるようになっていました。
というわけで、結局友ヶ島には約3時間半滞在しました。翌日は筋肉痛で苦しみましたが、非常に満足のいく滞在となりました。